真の幸福をもたらす心のあり方について「勤勉」「感謝」「謙虚」をキーワードに、稲盛和夫氏自身の経験と京セラの歩みを紹介して頂きながらお話を頂いておりますが、ここでは、心のあり方を主としたお話を紹介させて頂きます。
『結局のところ、幸福かどうかは主観的なものであり、その人の心のあり方によって決まるのだと私は思っています。
物質的にいかに恵まれていようとも、際限のない欲望を追いかけ続けていれば、決して幸せを感じることはできません。一方、物質的に恵まれず、赤貧を洗うような状態であっても、満ち足りた心があれば幸せになれるのです。
ですから、幸せかどうかは、人の心の状態によって変わってくるのであり、「こういう条件であれば幸せだ」という普遍的な基準はないと私は思っています。
そうすると、幸せとは一体何なのか。それは、端的に言えば、幸せを感じられる心をつくっていくことなのだと思います。
私は皆さんに「心を高めること、魂を磨くことがこの人生の目的です」と言っています。それは言葉を換えれば、死ぬときに「何と幸せな人生だったのだろう」と感じるように、自らの心をつくっていくことなのです。そうした、幸せを感じる「美しい心」が無ければ、決して幸せになることはできないと思います。
仏の教えに、「足るを知る」ということがあるように、膨れ上がる欲望を満たそうとしている限り、幸福感は得られません、反省ある日々を送ることで、際限のない欲望を抑制し、今あることに感謝し、誠実に努力を重ねていく。そのような生き方の中でこそ、幸せを感じられるのだと思います。
人間には、百八つの煩悩があると言われています。この煩悩が人間を苦しめている元凶だとお釈迦様は説かれたわけですが、中でも最も強い煩悩として「欲望」「愚痴」「怒り」という三毒があげられています。
我々人間というものは、この三毒にとらわれて日々を送っているような生き物です。人よりもいい生活をしたい、楽して儲けたい、早く出世したい。こういう物欲や名誉欲は誰の心にもひそんでおり、それがかなわないと、なぜ思った通りにならないのかと怒り、返す刀で、それを手に入れた人に嫉妬を抱く。大抵の人はこういう欲に四六時中とらわれ、振り回されています。こうした三毒に振り回されている限り、決して幸せを感じることはありません。ですから、こうした煩悩を振り払わなければならないわけですが、それから逃れようとしても、なかなか逃れなれない、人間の心にからみついて離れないのがこの三毒なのです。』
(この三毒を抑制する方法については、H.P.のフィロソフィの学び、『人生は心に描く「思い」によって決まる』において、説明をさせて頂いています。参考にされてください。)